お葬式について

阿弥陀さまに導かれて――祈りと誠意を込めたお葬儀

私は住職としてこれまで200名以上の葬儀に関わらせていただきました。そのたびに、「お葬儀は単なるお別れではなく、故人を極楽浄土へ送り届けるための大切な儀式である」という教えを深く実感しています。

お葬儀は、故人を阿弥陀さまの光の中に送り出す祈りの場です。それは何百人もの参列者が集まる大規模な葬儀であっても、ご家族だけの小さな葬儀であっても変わりません。私は僧侶として、祈りを尽くし、一生懸命に心を込めることを大切にします。

修行時代に叩き込まれた「お葬儀の意義」

私が修行僧だったころ、先輩方から何度も教えられたのは、「葬儀は単なるお別れの場ではなく、故人を阿弥陀さまの浄土へ送り届ける祈りの場である」ということでした。

先輩はこうおっしゃいました。「葬儀とは、故人が阿弥陀さまの光に包まれて浄土へ向かえるように祈る場だ。お経やお念仏は、ただ声に出せばよいというものではない。そこに祈りを込めなければ、意味を成さない。」私はこの教えを胸に、何百回、何千回、何万回とお念仏を唱えました。その中で学んだのは、葬儀の本質は形式や規模ではなく、祈りの心にあるということです。この教えは、今でもすべての葬儀において私の指針となっています。

若い方からの問い――「お葬式のとき、何を考えているんですか?」

あるとき、私に興味を持たれた若い方が、こんな質問をしてくださいました。「お葬式のとき、何を考えているんですか?」その問いを受けた瞬間、私は答えに詰まりました。祈りを簡単に言葉で説明するのは難しいと感じたのです。少し考えた末、私はこうお答えしました。「私は、ただひたすら南無阿弥陀仏とお念仏を唱えています。その場にいる方々が悲しみの中にあっても、少しでも心が軽くなるよう願っています。」その答えを聞いた若い方は、「お念仏にはそんな深い祈りが込められているんですね。」とおっしゃいました。このやり取りは、私自身にとっても祈りの意義を改めて見つめ直す機会となりました。

規模に関係なく祈りを尽くす

葬儀には、何百人が参列するような大規模なものから、ご家族だけの小規模なものまで、さまざまな形があります。しかし、葬儀の規模や形式に関係なく、私が行うことは一つです。それは、ただ一生懸命になむ南無阿弥陀仏と祈りを尽くすことです。

「住職に見送ってもらえるから安心」と言われたとき

あるとき、毎月お参りに行っているご家族の方から、こんな言葉をいただきました。

「住職に見送ってもらえるなら安心だわ。」この言葉をいただいたとき、胸が熱くなりました。私が心を込めて祈ることが、ご家族の安心につながるのだとしたら、それは僧侶として何よりの喜びです。

泣いてもいい――涙も供養になる

葬儀の場では、「涙を見せてはいけない」と思う方もいらっしゃいます。しかし私は、「泣くことも供養の一つです」とお伝えしています。涙は、故人への感謝や想いを表現する大切な形です。

例えば、ある葬儀では、故人を偲ぶご遺族が涙をこらえようとしていました。そのとき私は、「涙を流すことも阿弥陀さまへの祈りです」とお声がけしました。

私が特に寂しさを感じた葬儀の一つが、お寺に尽力してくださった方を見送るときでした。その方は、お寺の運営や行事に多大な貢献をしてくださいました。葬儀の際、私は住職として全力で祈りを捧げましたが、お経を唱えながらも胸の奥に寂しさが広がるのを感じました。その方の笑顔や優しさを思い出すたび、涙がこみ上げてきました。葬儀を終えた後、一人静かに涙を流しながら、「僧侶であってもお別れは寂しいものだ」と気づきました。

100歳の誕生日に亡くなった祖母を見送る

私にとって特別な葬儀の一つが、100歳の誕生日に亡くなった祖母の葬儀です。祖母は穏やかで優しい存在でした。祖母は、まるで阿弥陀さまのお迎えを受ける日を待っていたかのように、100歳の節目の日に静かに息を引き取りました。私は住職として、そして孫として、何万回と唱えてきたお念仏のすべてを祈りに込め、祖母の浄土への旅立ちをお見送りしました。葬儀後、家族から「住職であるあなたがいてくれて本当に良かった」と感謝の言葉をいただき、祈りを尽くすことの意義を深く実感しました。

極楽はこの世と地続きである。

みなさん、「あの世」とよくおっしゃいますが、浄土宗ではあの世は明確に「極楽浄土であり」極楽浄土は遥か西に位置します。距離はあっても私たちが生きている世界と地続きなのです。一年中春の極楽浄土で修行をして、仏様になり、またこの世界に戻ってきて、我々を救ってくれます。愛しい人を亡くした方にとってこの教えは特に必要なのではないでしょうか?故人は決してよその世界に消えてしまったわけではありません。

南無阿弥陀仏。


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この記事を書いた人

愛知県知多郡東浦町にある「浄土宗 乗林院。「心の拠り所」として多くの方に親しんでいただけるお寺にしたいと考えています。

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