惟(おも)んみれば、天地のめぐりは移(うつ)ろい早く、涼風そよぐ夕べに、紫陽花(あじさい)の色あざやかに、花菖蒲(はなしょうぶ)の姿は静かに気品を湛え、百合は白き浄土を想わすごとくに咲き誇る。
いま、法縁ふかく結ばれしこの法会にあたり、道心堅固なる御同行(ごどうぎょう)とともに、ここに慎み敬やって阿弥陀如来の尊前(そんぜん)に表白し奉る。
そもそも、この涼暮月(すずくれつき)の時節は、暑さの兆しのなかにも、日暮れに涼しさを覚え、自然の息吹と共に無常の理を肌に感じる月なり。
とりわけ、今月には「父の日」を迎える。幼き日より支え導き、厳しさの中に深き愛を注いだ父への感謝を、新たに心に刻(きざ)む日であり候。物言わずとも背(せな)で教え、己のことより子を案じ、老いてなお子を支え続けし父の姿は、まさに不言実行の慈悲そのものなり。その姿は、我々を静かに見守り、陰にあって導く阿弥陀さまの御慈悲と、どこか重なり合うように思い候。
かくのごとき世の縁にあって、あらためて今この時を生きていることの不思議さを思い、父母、先祖、そしてすべてのご縁ある方々への感謝を深くいたし、念仏を称え奉らんことを。
願わくは、阿弥陀仏の大慈大悲によりて、いまここに集うすべての者の心に、涼しき風のごとき安らぎが届くよう。
また、紫陽花のごとく色と姿を変えながらも、一つの根より咲き出づる花のごとく、すべての命が浄土へと一つに結ばれるよう、念仏を称える。
今を限りの命と思わば、なおさらに名号は尊く、称えるごとに仏の光明は我が身に注がれ、煩悩の闇は自然(じねん)に晴れてまいらん。
かかる勝縁、まことにありがたく、ただただ報謝と極楽往生の心をもって念仏申し奉るのみ。
南無阿弥陀仏
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