同じものは存在しない。
引導とは亡き人を引き入れ導くこと。道案内をすること。仏教では特に衆生を仏道に引き入れて、導くことを意味します。現在では葬儀式のときに導師が炬火たいまつを持って引導の句を授けることをいいます。
下炬(あこ)とは引導に用いられる文を指します。引導の時に各故人様別々の下炬(あこ)を、松明を持ちながら捧げます。
以下、私の100歳で亡くなった私の祖母の下炬(あこ)を紹介します。
究竟大乗浄土門 諸行往生称名勝
我閣万行選仏名 往生浄土見尊体
それ明日に開くる栄花は夕べの風に散りやすく、夕べに結ぶ命露は、明日の日に消えやすし。これを知らずして常に栄えんことを思い、これをさとらずして久しくあらんことを思う。しかる間、無常の風ひとたび吹きて、有為の露、長く消えおわんぬ。
およそ迷いの境涯を離れる行は、一つにあらずといえども、まず極楽に往生せんと願うべし。「弥陀を念ぜよ」ということ、釈迦一代の教えにあまねく勧めたまえり。阿弥陀仏、宝蔵菩薩にあるとき、本願をおこし「わが名号を念ずる者、わが浄土に生まれずば正覚をとらじ」と誓いて、すでに正覚を成り給うゆえに、この名号を称うる者は、必ず極楽浄土に往生するなり。
ここに新蓮台「遊行房蓮信女」俗名髙木ふさ子、諦聴諦聴、あきらかに聴け、よくこれを思念せよ。
信女は大正十年十一月二五日、この世に生を受け、戦前より戦後にかけて青春期を送り、大正・昭和から平成、令和にいたる天変の時代を生き抜けり。
親交広く、友また多し。旅行を好み各地にたびたび出かけ、また俳句をたしなみ、市民版にもたびたび掲載される。幼少期は祖父母、また両親の元、九人兄弟の第一子として幼い兄弟の面倒をみて家族のためにつくす。大戦中は運輸省に勤め、戦後、縁あって故髙木友次氏と結ばれ、二男を養育せり。社交的な性格から趣味多く、友人とともに案隠たる日々を過ごすが、平成一七年、夫、友次氏に先立たれしは痛恨の極みなれども、その菩提をあつく弔らえり。
安穏たる日々を過ごすも去る十一月二五日満百歳の誕生日によわい百歳を一期として天寿を全うし、西方極楽浄土に赴けり。我ら凡夫ゆえ、深く嘆きけるが、宿縁むなしからずば同一蓮上に座せん。浄土の再会、はなはだ近くに近きにあり。引摂縁はこれ浄土の楽しみなり。
釈尊は念仏を勧めて浄土への道を指し示し、阿弥陀如来は極楽からわが名をよべと迎え給う。今、二尊の教えに従って、広く浄土の門を開かん。
信女が往生浄土にさいして、一句をもって餞別とせん。
月影の いたらぬ里はなけれども ながむる人の 心にぞすむ
いかがでしょうか?下炬(あこ)は故人様によって様々であり、一つとして同じものはありません。どんなに忙しくても故人様のプロフィールをお聞きして下炬(あこ)を作成しています。
南無阿弥陀仏
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