昨日、7月17日は「東京の日」でした。
慶応四年(1868年)のこの日、明治天皇の詔勅によって「江戸」は「東京」と改称されました。それまで千年近く日本の中心であった京都から、政治と文化の都が東京へと移った象徴の日です。けれども、都が移っても、お念仏の教えは、場所を選ばず、時代を問わず、すべての人に等しく開かれたものです。法然上人のお心は、それら特定の建物や土地に縛られるものではありません。
『法然上人行状絵図』には、次のような有名な問答が伝えられています。
法蓮房信空が申し上げた、
「古来、徳ある高僧には、かならずその遺跡がございます。然るに上人におかれては、いまだ一つの寺院も建立されてはおられません。ご入滅の後、どこをもってその遺跡と申すべきでしょうか」
これに対して法然上人は、
「遺跡を一所の廟堂に限ってしまっては、私の遺す教えは人々に行き渡りません。私の遺跡は、むしろ広く諸国に及ぶべきです。念仏の声が盛んなところこそ、私の教化が成った証です。念仏が称えられていれば、そこが私の遺跡なのです」
と申されたといいます。
念仏の声こそが、遺跡そのもの。その場所が都であろうと、山奥であろうと、漁村であろうと、
人々が「南無阿弥陀仏」
と称えているならば、そこに仏さまの光が届いているということなのです。
念仏の声するところ、すなわち道場、すなわちふるさと。
その想いを胸に、今日もまた、「南無阿弥陀仏」とお称えいたしましょう。
南無阿弥陀仏
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