あらためて考えると人は父母のおかけで生まれただけでなく、一人では育つことはできません。
私の姉にはもうすぐ小学生になる6歳の息子がおります。私の甥っ子です。「ママ、ママ」といつも姉に甘えて、すがっています。甥は赤ん坊だった頃は病弱で、入院がちでした。姉は息子を心配しては涙し、今度は成長するにつれて元気になってお遊戯会で活躍する姿を見てまた涙します。私はそんな姉を見てどんな気持ちで子供は育てられていくのだろう、一喜一憂を繰り返し、身を削る気持ちで育てていったに違いないと感じます。
ただ、人は大きくなるにつれてその恩を忘れ、自分一人で生きてきたかのように思いあがることがあります。今は離れて暮らしておりますが、独身の私には少々耳がいたい言葉も両親からは言われます。時に疎ましく思うことさえあります。しかし、両親は代わりが効かないありがたい存在なのです。自分が親になってそのありがたみをしみじみわかるようになるとも聞きます。
しかし、親孝行、したいときには親はなしという言葉や石(墓石)に布団はかけられずという言葉が有名です。はたして両親を失ってしまった後では孝行は出来ないのでしょうか?
そんなことはありません。お念仏をすることで孝行はできます。
法然上人は「親孝行するには両親を阿弥陀様にお任せして念仏せよ」と説かれます。
私の両親はありがたいことにまだこの世におりますが、この世での命が終わった後でもお念仏で親孝行はできるのです。決して悲観することはありません。
また、極楽往生を願うのは父母だけでしょうか。父母もまたそれぞれの両親のおかげでこの世に生まれ、養育されたのです。父母の両親、祖父や祖母、そのまた過去を生きた様々な人々の追善供養もお念仏によってすることができます。
ご先祖さまにも思いをはせてみると、どうでしょう。
NHKの人気番組にファミリーヒストリーという番組があります。著名人のルーツを調べ、どのようなご先祖様達を経てその人物が存在しているかを解き明かしていく番組です。
みなさんはご覧になったことがあるでしょうか・・?
それぞれの人に歴史があり、知らなかった事実が解明されていき、明治維新・戦争・戦後復興期を必死に生きてきたご先祖様の人生を初めて知る著名人が多くいらっしゃいます。漫才師の博多華丸大吉の、華丸さんは父方、母方の両方の祖父が戦争によって人生を狂わされてしまった事実を知って、「いやー、お酒ばっかり飲んでいたけれど、苦労したんだなぁ!」と驚かれていました。
頑張って生き抜いた先祖を思って多くの著名人は話します。
「一生懸命、生きなければいけませんね」と。
そんなご先祖様たちにもお念仏は必ず届くのです。
私は幼いころ祖母の家によく遊びに行っていました。仏壇に向かって「隆太が元気でありますように」と私の健康をよくお願いしてくれました。私は祖母が大好きで、祖母が足を悪くしたときには、早くに亡くなった祖父のお墓参りにおんぶして行ったこともあります。
祖母は昔、私によく話しました
「よく勉強しなさいね。頑張って勉強した事は誰からも盗まれることはないから」と。
お見舞いに行ったことがあります。もう意識があまりない祖母ではありましたが、「おばあちゃん、会いに来たよ」手を握って、耳元で話しかけると少しうなずいたようにもみえました。本当にこの世で会える最後の瞬間だったかもしれないと感じました。
私はお寺に帰って「すべてを阿弥陀様にお任せします。祖母をどうぞお願いします」とおすがりしてお念仏をお唱えさせていただきました。お念仏による孝行はおばあちゃんがどうなっても、これからも続けられる。そう思いました。幸い、体調は回復し、祖母はまだ元気でおります。
父母や大切な人々へのお念仏による孝行は阿弥陀様におすがりすることで必ずできます。親のこと、祖父母のこと、自分自身の往生のこと、すべてただひたすら、一向にお念仏して阿弥陀様におすがりしてお任せしましょう。
南無阿弥陀仏
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