法然上人が述べ、聖覚上人が筆録したといわれるもので、比叡山や興福寺など、いわゆる旧仏教勢力が専修念仏を非難し弾圧する中で、それらを和らげる目的で書かれたものを登山状と呼びます。
「世の中には様々な仏教の教えがあり、それぞれが尊く、人々を救済へと導くための大切な道であります。比叡山で研鑽を積んだ私自身、天台宗の教えの深遠さを身に染みて理解しております。また、興福寺をはじめとする諸宗派も、それぞれの尊い教えによって多くの人々を救済してきたことは、紛れもない事実であります。しかしながら、末法の世において、すべての人々が厳しい修行に耐え、複雑な教義を理解できるとは限りません。煩悩にまみれ、苦しみに喘ぐ人々にとって、どれほど正しい教えであっても、実践することが難しければ、真の救いにはならないのではないでしょうか。どんな人であっても、ただひたすらに「南無阿弥陀仏」と念仏を称えるならば、必ず極楽浄土に往生できる、これが阿弥陀如来の本願であります。この選択本願念仏の教えは、決して他の宗派を否定するものではありません。」
と書かれてあります。
『登山状』は整然とした構成を持ち、長文ながらも明快な趣旨を持っています。冒頭では「惣じては生死を厭い仏道に入るべき謂れ、別しては無智の道俗男女の念仏するによりて、諸宗の妨げとなるべからざる旨」という前置きから始まります。
内容としては以下のような点が述べられています:
1. 人として生まれ、仏教に出会えたことへの喜びと感謝
2. 日常生活や煩悩に振り回されて仏教の真理に気づけない現実
3. 聖道門の理解と浄土門への帰入の必要性
4. 菩提流支と曇鸞の出会いの話を通じた念仏の重要性の説明
5. 迷いの世界から速やかに抜け出ることの勧め
『登山状』は格調高い風情を持つ整った簡潔な文章で書かれており、その一部は知恩院刊『元祖大師御法語』にも収載されています。改めて、等しく尊い諸宗派と手を取り合っていく必要があります。
南無阿弥陀仏。
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