智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし

梅雨を感じると同時に、もう初夏の空気。蒸し暑さが身にまとわりつく、そんな季節です。日々はあっというまにどんどん過ぎ去っていってしまうように感じます。しかし、そんな日々でも変わらないものは、やはり、お念仏です。

「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」

というお言葉は浄土宗をお開きになった法然上人が800年以上前、43歳でお念仏のみ教えをもって浄土宗を開かれてから、80歳で極楽浄土に往生なさる2日前にお示しになった一枚起請文の中の大事な一説です。

一枚起請文は、わずか337文字、四百字詰めの原稿用紙の一枚にすっぽりと収まるほど、簡潔にまとめたご誓願です。どんなに博識でも、地位があったとしても阿弥陀さまから見れば同じ立場。素直に、謙虚にただひたすらに南無阿弥陀仏と声に出してお念仏するべきです。という意味だと受けとらしていただいております。声に出して称えるその一言の中に、すでに阿弥陀さまを信じる「信心」が宿っていると、法然上人は説かれました。

そして、この世を終える時――

阿弥陀さまは慈悲の光をもって常に春の気候である(花粉症も五月病もありません)極楽浄土へどんな人でも必ずお救いくださいます。

南無阿弥陀仏

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愛知県知多郡東浦町にある「浄土宗 乗林院。「心の拠り所」として多くの方に親しんでいただけるお寺にしたいと考えています。

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