厳しい寒さが続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
本日は、浄土宗の宗祖であられる法然上人についてお話ししたいと思います。1月25日は、法然上人がご往生された日、すなわち御忌(ぎょき)でございます。800年以上も昔、法然上人は私たちのような普通の人々が、どのようにすれば迷いの多いこの世を乗り越え、仏様の救いを得て浄土に往生できるかを考え、経典を模索し続けられました。
その答えが、「南無阿弥陀仏」の念仏を称えることでした。南無阿弥陀仏とは、「阿弥陀仏に帰依いたします」という意味であり、阿弥陀如来の限りない慈悲と智慧にすべてを委ねることを表しています。 ただひたすらに念仏を称えれば極楽浄土に往生できるという教えは、当時の仏教界では革新的なものでした。 従来の厳しい修行を積まなければ悟りを開けないという考え方が主流であった時代に、法然上人は、すべての人々に救いの門戸を開いたのです。
法然上人は比叡山で長年修行を積まれ、あらゆる経典を研究されました。その結果、あらゆる人々を救済しようと願う阿弥陀如来の誓願(本願)を知り、専修念仏の教えに至ったのです。そして当時の仏教界で最大勢力でもあった比叡山ををひとり降り、質素な草庵(現在の京都市左京区にある金光光明寺)を結んで布教を始められました。 そして、建永2年(1207年)、往生される2日前に法然上人は弟子たちに、「一枚起請文」を記しました。その内容は、「ただ南無阿弥陀仏と称えれば浄土に往生できる。他の修行は必要ない。ただひたすら念仏すべし」という専修念仏の教えを明確に示したものでした。その後、法然上人は満78歳でご往生されます。往生された地は現在の浄土宗総本山である知恩院(京都市東山区)となりました。
この教えは、貴族や僧侶だけでなく、一般庶民にも広く受け入れられました。しかし、既存の仏教勢力からは強い反発を受け、念仏停止の訴えが起こされました。朝廷は法然上人や弟子の僧侶たちを流罪とし、専修念仏の教えを禁じたのです。法然上人は讃岐国(現在の香川県)へと流されました。これは、法然上人にとって大きな苦難であったことでしょう。しかし、そのような逆境の中でも、「讃岐でも念仏の教えを広げるいい機会だ」と法然上人は念仏の教えを捨てることはありませんでした。
現代社会は、便利になった反面、不安やストレスを抱える人も多く、生きづらさを感じる時代とも言われています。だからこそ、法然上人の教えは、現代においても大きな意味を持つのではないでしょうか。迷いや不安に押しつぶされそうな時、救いを求める心の拠り所となるでしょう。法然上人自身が経験した苦難は、私たちに勇気を与えてくれます。どんな困難に直面しても、阿弥陀如来の本願を信じ、念仏を称えることで、必ず道は開かれるということを示しているからです。
「南無阿弥陀仏」と念仏を称えることは、単なる言葉の繰り返しではありません。阿弥陀如来の限りない慈悲に触れ、今、この瞬間を大切に生きることへの力となるのです。 私たちに迷いがあるように、周りの人々にも悩みや苦しみがあるはずです。念仏を称えることで、他者への慈しみの心も育まれるのです。
日々の生活の中で、喜びや感謝を感じるとき、あるいは苦しみや悲しみに落ち込んだ時、心静かに「南無阿弥陀仏」と称えてみてください。きっと、心に安らぎと希望の光が灯るはずです。本日もお参りやお勤めの中でたくさんお念仏を申させていただきました。
法然上人の御忌に際し、改めてその教えの深さと、その教えを貫いた強さに感謝し、私たちも念仏の行に励み、慈悲の心を育んでいきたいと願っております。
南無阿弥陀仏
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